山口100萩往還マラニック大会その12007年05月03日 23時23分23秒

 
 ここは湯田温泉のホテル、今夜は寝ないで走り続けるつもりなので、8時までたっぷりと睡眠をとった。
そしてマラニックの二つの着替えステーションに何を入れるべきか、走るのは長袖か半そでかなど悩みながら、軽め朝食をとった。そうそう、長野マラソンの際のプリン効果を期待してコンビニのものだが今回も食してみた。

チェックアウトの11時までゆっくりと部屋で過ごし、その後、維新公園まで散歩をし、また街にもどり、おおすみ歴史美術館を見学した。歴史本がおいてあり、吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作らの動きを、今夜は走る萩往還道を思いながら読んだ。

受付会場の瑠璃光寺には2時に着いた、隣にある洞春寺に手荷物を置き、教育会館で事前説明を聞いた。洞春寺に戻り、着替えの最終チェック、例年より寒く感じたのでワコールの長袖Tシャツにロングタイツにした。一つ目の着替えは、1kmほど先の福祉センターなのでスタート後に走って持っていくことにした。防府までの折り返しはウエストポーチのみだ。

今回は第一ウェーブでスタートがしたく、瑠璃光寺では30分前に並んだ。18時丁度にエイエイオー!の掛け声とともに一斉にスタートした。
普段の大会では考えられないが、二番手をキープ、後ろが着いて来ない。福祉会館に荷物を預けている間に定位置に戻ったようだ。
早からず遅からずを念頭に262号線をヘッドライトを浴びながら進む、やがて鯖山峠の「しゃもじ」(14km)に着き、ここでオニギリを二個食べた。ここから街灯がない旧道なのでヘッドランプを出し19時38分に出発、再び国道を走り抜けて防府の英雲荘・三田尻御茶屋跡(22.4km)に20時38分に着いた。
ここまで来た証としてチェックシートにチェックを入れ再び折り返す。再び「しゃもじ」食券を使い肉うどんを食べた。ここからは多少気が滅入る長い道が続くが、友人たちがメールやSNSで応援してくれている、やっとのおもいで福祉センター(43.35km)に着き、今度はオニギリに味噌汁を食べた。着替えも考えたが結局このまま行くことにし、新たにザックを背負い外に出たのが23時55分、いよいよ目指すは往還道!

山口100萩往還マラニック大会その22007年05月04日 23時23分23秒

 山口100萩往還マラニックの140kmの部は、実際の距離は134.35kmとなっている。おそらくコース変更などで短くなったのだろうが、コース名称がそのまま残ってしまったのだろう。

さて、石畳の往還道に入る、やがて山道になる。萩往還最高地点(560m)の板堂峠を抜けると、250kmの一番手が前方から来た。自分よりも確かな足取りだ、この大会のあいさつ「お帰りなさい!」と声を掛けた。往還道とバイパスをいくつか下り、旭村の佐々並市(58.45km)、コーヒーを貰おうと思ったら丁度お湯きれ、残念だが致し方ない、レモンを貰い、2時35分に出る。
真っ暗闇の往還道、一里塚跡や一升谷を走り、明木市(67.7km)、ここで饅頭を食べた、甘いものが美味い。だいぶ眠くなってきたが、4時15分に出た、ここからは再び山道に入るのだが、その手前で走りが蛇行し始めてきた、道幅を右にいったり左にでたりで、これは危ないと、横になった。軽くウトウトした、時間にして10分にもなっていないが、空が明るくなってきていた。

少し寝ただけだがだいぶ体が楽になっている、山を登り下ると、有料道路の休憩所に着いた。休まずにそのまま前に進む。萩の町に入り、萩城跡を目指す、もう朝の散歩の人たちがいる。萩城跡・石彫公園(79.15km)が二番目の着替えステーション、思ったより肌寒く、半そでに着替えずそのまま行くことにした、危うくチェックを忘れそうになった、気をつけなければと思いながら6時45分に出る。日本海の海岸線を行く、ここからは250kmのランナーたちと同じゴールを目指すことになる。何人もの250kmランナーに抜かされる。250kmの部に視覚障害者と伴走者がいた、驚きだ、丸二日間も一緒に走り続けるとは!

山口100萩往還マラニック大会その32007年05月04日 23時23分24秒

 第三チェックポイントは、日本一小さい火山、笠山(88.79km)だ、急勾配なので歩きっぱなしだ。すぐに下って虎ヶ崎(91.46km)が第四チェックポイント、ここで日本海を見ながらカレーライスを食べた。
周りを見ると、ほとんどのランナーはビールを飲んでいる。視覚障害者も伴走者も飲んでいる。残りの距離と時間を考えたら楽勝なはずなのだが、自分なりに計算をしてみた。

 有料道路の休憩所から山に入る、明木、佐々並そして長いだらだらとした登り、そして最後の往還道、これらを思うと、一時間に5km程度しか進めないと思ったほうが良い。ウルトラや山の経験から、登りが、キロ15分から20分、下りは、5分から7分という検討をつけた。これにさらに休憩がはいる、残りの距離は45kmほど、残りの時間は、9時間とほぼぴったしだ。
応援してくれている皆には悪いが、おぼつかない手での返信はできないと思い8時48分に再スタートした

最後のチェックが東光寺(99.7km)、手前のコンビニでリポビタンを飲んだのが効いたのかどうか分からないが、ともかく足は前に進む。東光寺を出たのが10時10分。萩市内を抜けると今度は、今朝スタートした70kmの部の人たちも加わってきた、みな元気だ!
有料道路の休憩所で、夏みかんを売っていた、一個だけ買い、食べた、ものすごく美味い、走る意欲が再び沸いてきた。

 昨年はこの下りで、足が攣り、辛い思いをした。気をつけながら下る、こわいのは、木の根っこや石につまづくこと、思わず体勢を維持しようと無理な格好をするから攣りそうになる、素直に転んでしまえば擦り傷で済むものを踏ん張るから攣ってしまうのだ。

山口100萩往還マラニック大会その42007年05月04日 23時23分25秒

 
明木市(110.75km)では観光なのかハイキングなのか多くの人たちがいた、萩焼などの露天も出ていた。時間は12時17分だ、少し余裕が出てきたが油断は禁物。
往還道のアップダウンは続く、一升谷の長い登りはきつく、やがて昨年リタイアしたところを通過、佐々並(120km)に入りコーヒーを貰う、苦く暖かく、ほっとする、14時10分だ。
ここからはひたすら舗装路の登りと往還道だ、私設エイドだろうか途中でお茶に大福をいただく、疲れたときには甘いものが良い。

 往還道の最高標高地点からは下りだ、山道なのでおそるおそるスピードを上げる、バランスも問題ないようだ、距離ももう読めている、少し行ってみるかと足を速めた。
往還道を抜けると舗装路、あと数キロだ、前をいくランナーを拾っていく、最後右折すると瑠璃光寺の前には人だかりだ、拍手と「お帰りなさい」の声、うれしい、寺の前で、伴走を指導してくれたクニさんから声を掛けられた、「ビール飲む!」ゴールしてからと答え、ゴールがある境内に入った。

タイム22時間39分49秒、今思うとかなり余裕があった。
もう少し声援をくれた仲間たちに返信をしていればと思った。

ゴールして、すぐに門前の茶店で生ビールも飲む、自分へのご褒美だ。しかし、しばらくすると寒気が襲ってきた。
我慢できないほどになってきたので、堂春寺に戻り着替えた。タクシーを拾いホテルへ、温泉に入ったのだが、熱さからか眩暈がし気分が悪くなってきた、水を掛け冷やした。
部屋にもどり、すぐに寝てしまった。

中原中也記念館2007年05月05日 23時40分50秒


 10時間ぐらいは寝ただろうか、軽く朝食を取りホテル近くを散歩した。
ホテルに戻りパッキングをしチェックアウト後に、近くの仲原中也記念館を見学した。5月5日はこどもの日で入場は無料という、もちろん大人も無料とのこと、なんだか得した。中原中也の詩は教科書で習ったような気がしたが定かではない。
中也記念館の前で期間限定で中也カフェがオープンしていた。早速入り、中也ビール(スタウト)とゴマ豆腐を食す、うーん何だかとても贅沢な時間を過ごしている。

山口100萩往還マラニック大会その52007年05月05日 23時49分12秒


 山口100萩往還マラニック140kmの部には今年で3年連続の参加となった。昨年一昨年とリタイアを繰り返した。
もちろん練習量とか当日の天候とか、気持ちの持ち方とか色々な要素がある、今回の完踏はそれらの要素ももちろんだが、仲間たちの応援も大きかった。
感謝しなければと思った。
そして応援してくれた仲間たちに吟醸酒を買い、帰路に着いた。

次の駅伝リレーで飲んでいただこう!!!

山口100萩往還マラニック大会その62007年05月06日 14時43分37秒


 疲労感はそんなにない。
まだ足はむくんでいるが、筋肉痛もたいしたことがない、何よりも、今まではウルトラを走ると必ず親指の爪が死んでいたのだが、今回は無事だ。

さて、写真のバックのデザインは、参加賞のTシャツ。そして手前の紙切れが、チェックシートで左の奥にあるのは完踏証だ。
チェックシートには、「しゃもじ」と「虎ヶ崎」の食券も付いていたのだが、それぞれ、うどんとカレーライスで使ってしまった。

また、右手前にある円盤型バッチは、ランナーの背面、ザックなどに付ける。すると、追い越しざま、名前を呼んで声を掛けてくれたり、同じ出身地ということで話がはずむことになる。

そして、その右奥に立っているのが、往還道のあちらこちらに立っている道標のミニチュア(高さ15cmほど)で、これが完踏賞になる。
なんと言うことはない木製のものだが、自分の宝物だ!

安政遠足(とおあし)侍マラソン2007年05月13日 22時53分47秒


 安政遠足(とおあし)侍マラソン(群馬県安中市)に三年ぶりに参加した。
この侍マラソンは、日本でもっとも古いマラソンにちなんで行われているもので、今年で33回を数えているが、多くのランナーが仮装をして走るということでテレビニュースなどでもよく知られている。

最古のマラソンの所以は、江戸時代後期の安政2年(1855年)に、安中藩の藩主、板倉勝明が、藩士を安中城から碓氷峠まで競わせた「遠足」について記した古文書が、1955年に地元の旧家から発見され、組織的に競った、つまり競技としてのマラソンの記録としては最古とされたところからきている。

コースは、群馬県安中市の旧中山道沿いに行われ、碓氷峠越えの約30kmコースと、峠ふもとまでの約21kmのコースの二つあるが、わたしは前回に引き続き、峠コースを股旅三度笠の格好で走った。

21kmコースに参加の友人と一緒に走ったのだが、まずスタートは最後尾、ここから色々な仮装を見て、話しをして、楽しみながら、ゆっくりと抜きながらのランになった。

太陽が照りつけるようなことは無かったが、蒸しており、仮装でも被り物をしているランナー達は、息も絶え絶えというような感じで足を運んでいた。色々な仮装の方たちがいるが、やはりその時々のトレンドを象徴する仮装がある一方、侍・武士の格好や、物(釜飯、電車)などもあった。

横川の関所を越え、21kmコースの友人と別れ、峠に入ると、ランナーもぐっと少なくなる。また、沿道の応援もないので、被り物を脱ぎ、ゼイゼイしながら登っていくランナー達がいる。わたしも暫くは快調に足を運べたが、萩往還の疲れが残っていたのか、最後の数キロは歩きが入ってしまった。

ゴールは、熊野神社(旧軽銀座の山に進んだ場所)、茶店が数箇所あり、食券を使い、蕎麦と餅をいただける、わたしはモリソバと辛味餅に舌鼓をうちました。
そしてバスで会場まで送ってもらったが、疲れもあり爆睡、そして、最後に、入浴券で、礒部温泉のめぐみの湯に浸かり帰路についた。

食事と温泉がついて、しかも大いに楽しめて、良い練習にもなる、なんか格安で良い大会と改めて思った。

山口100萩往還マラニックのゴール写真2007年05月17日 18時42分35秒


 山口100萩往還マラニックのゴール写真が手に入りました。
とても135km走った後とは思えない!我ながらなんと嬉しそうな表情!

ゴール直後は、もう来年は・・・と思っていたのですが、今は微妙!!!

今日は文化の日か???2007年05月19日 22時04分48秒

 今日は体育会系でなく、頭に刺激を入れる文化の日となった。

東京ミッドタウンに行く、朝9時ごろということもあり、まだ入れないところもあったが、周遊。そして、まずは朝食と、オープンテラスでベーグルにカフェラテとあいなった。

その後、国立新美術館のモネ展に行く、既にオープンしており、若干の列に並んだが、比較的スムーズに入れた。
しかし、展示室に入ったとたん、大混雑。スタッフに聞いたところ、順路は特に設けていないので、外に出ない限りは自由に行き来して良いとのことだったので、迷わず、最後の展示ブースに向かう、ここまで来るとガラガラで、ゆっくりと一連の「睡蓮」を鑑賞した。
ゆっくりと戻りながら鑑賞していくが、この展示会の最大の魅力は、同じ場所を時間を変えて描かれた作品あるいは少し構図を変えた作品など、それぞれ所蔵が違う作品を比較して見れることにある。

「かささぎ」という作品に目が留まった。
雪景色のなかに、かささぎが一羽止まっている作品なのだが、正面、右、左と場所を変えてみる。照明のせいでなく、雪面がキラキラと輝いて見える。そして、かささぎの何ともいえない存在感、しばし見とれてしまった。
全体を二往復はしただろうか、途中少し休んだが、さすがに疲れ、展示室を後にした。

出口のところに、モネグッズコーナーがあった。
そこに、あの「かささぎ」のシルクスクリーンが販売されていた。限定数200、価格は98,000円だったか?、思わず買いたくなった。
うーん、悩んで、再び、本物の作品まで戻って鑑賞し、やはり圧倒的な存在感の違いを感じ、購入をあきらめた。
しかし、美術館を後にしても後ろ髪を引かれる思いだった。

 午後は、銀座に出て、ランニング仲間のHさんも展示している「鶴川流花押展」に行った。
それぞれの作品の説明を聞きながら鑑賞したが、本来は作品があって、その作品の署名として用いたものが今回は主役なので、その広がりを含めて非常に面白かった。

「文字」そのものの意味を理解し、そこから何を見出すか創造性が問われるという興味深いものとなった。

脳が刺激を受けた、良い一日だった。
なかのひと