国家の品格 ― 2006年04月25日 22時13分13秒

前掲の「管理組合」に「自分さえ良ければ・・・」というコメントを走る伝道師さんから寄せてもらって、最近読んだ本のことを少しだけ書いてみます。
数学者の藤原正彦さん(山岳小説で有名な新田次郎さんが父)が書かれた「国家の品格」を読みました。
論理だけでは世界が破綻する、論理だけでは説明できないことが多くある。論理では説明できないが、いけないものはいけない。
日新館(会津藩)の「什の掟」(じゅうのおきて)では、
1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3.虚言を言うことはなりませぬ
4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
5.弱いものをいじめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
とあります。
7の婦人とは・・・は、現代にはそぐわないですが、これ以外のことは、わたしも子供の頃に親に言われたことです。これらに論理や理屈はないでしょう。まさに人として持ち合わせなければいけない品格なのかもしれません。
最近は、ルール違反ではない、規則には触れていないなどの言葉を良く聞くことが多々あります。スポーツの世界でも審判が見ていなければ何でもありという風潮も伺えます。しかし卑怯であることに違いはありません。
この著書には、賛否両論あるかと思いますが、「情緒」「何かに跪く心(ひざまずくこころ)」「道徳観」など改めて自分に問う何かがあると思います。
コメント
_ Yoshi@free_running ― 2006年04月25日 23時12分16秒
_ Ike/たそがれの、、、 ― 2006年04月26日 12時46分08秒
国家の品格、、その国に生まれ、生活している人たちの価値観、身の処し方、立ち居振る舞いといった事柄の集大成みたいなものでしょうか。移民の国米国で5年弱生活して感じたことを書きます。日本で得る事の出来る米国の印象は自由奔放、何でもあり、実力の世界etcでしょうか。それもある意味で事実です。しかし最も強く感じた事は法、ルールは守られなければならないとする意識の高さ(それしか多民族の民を統率する手段がないのですから)と宗教心に根ざした道徳心、価値観をしっかりもった人たちの多い事でした。その程度の差がほとんど社会の中での階層に比例しているように感じました。日本では逆に社会全般あらゆる階層ですばらしい価値観を持っている人たちが存在しています。(してました?)ですから法も規則も抜け道があってもそれなりに機能していたんだと思います。しかし最近はあらゆる階層でその価値観の質が低下(何を基準に低下と規定するかは議論の余地がありますが、、)してきている故に米国式に取り締まるようになってきていますし社会のシステムを米国式にしていこうとする風潮にあります。それで様々な方たちが日本を憂いて書物をお書きになり,警鐘をならしているんではないでしょうか。自分が出来る事はせめて2人の子供に自分が受けた躾や上杉武士の誇りを伝える事ぐらい、、。しっかりした価値観を持たせないといけないと強く思います。日本で階層では上位の人の中にとんでもない人がいるのが米国より問題な点だと考えています。
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明君家訓から
「節義の嗜みと申すは、口に偽りをいはず、身に私をかまへず、心すなをにして外に飾り無く、作法を乱さず、礼儀正しく、上にへつらはず、下を侮らず、己が約諾を違へず、人の患難を見捨てず・・・さて恥を知て首を刎らるとも、己がすまじき事はせず、死すべき場をば一足も引かず、常に義理を重んじて、その心は鉄石のごとくなるものから、また温和慈愛にして物のあはれを知り、人の情け有るを節義の士と申し候」