山口100萩往還マラニック250km2008年05月06日 18時35分15秒

山口100萩往還マラニック大会の250kmの部に参加した。

大会は、国宝の五重塔がある瑠璃光寺を5月2日(金)18時に362人がウェーブスタートで行われた。
コースは、山口秋吉台自転車道から美祢市、俵山温泉、長門市、油谷島、川尻岬、千畳敷、青海島、鯨墓、鎖峠、萩城址、笠山、虎ヶ崎、東光寺を経て萩往還道を抜けゴールの瑠璃光寺までの250kmを制限時間48時間で行われた。

わたしの結果はなんとか完踏だった。(この大会では、完走と言わず完踏という)

記録(速報値)
47時間33分38秒 197位/完踏者217名
スタート時は362人だったので、完踏率60%だ。この250kmのエントリーには140kmに一度参加していないと出来ない。

楽な大会でないことは間違いない、横になって寝た時間はトータルで15分ほどか、何度あきらめたか、青い空と海、真夏のような太陽、漆黒の闇、寒さ、転倒もした。
それでもメール応援に助けられ、見ず知らずの往還道経験者に引っ張って貰い、最後の25kmほどでは制限時間との葛藤もあり、瑣末なアクシデントは結構あった。
少し整理して大会の模様を改めてアップしたい。

山口100萩往還マラニック250kmその12008年05月07日 22時02分57秒

大会前夜の5月1日(木)の泊まりは、会場から一駅の湯田温泉のホテルにした。
風呂の前にまず腹ごしらえと、町に出て、野菜サラダ、ソーセージ、パスタに生ビールと赤ワインでしっかりと補給した。
ホテルの風呂は、屋上の展望風呂で、いくぶん酔った体に夜風が気持ちが良かった・・・。

翌朝、2日(金)に目覚ましがなり起きたところ、頭が痛くあくびもでる、もしかすると風邪かもしれない、今夜スタートなのにこれはまずいと、逆療法で朝風呂に入った。
しっかりと朝食もとったが改善はみられない。フロントに頼んで、チェックアウトの延長を申し込んだ。
大会の説明会が15時からなので、14時までホテルにいることにし、部屋で、二箇所の荷物置き場への袋をあれこれと考えながら整理し、あとはひたすら寝た。

背負って走るのはグレゴリーのリアクターで、次のようなものをパッキングした。
リザーバー(500mlの水)、医薬品(バンドエイド、胃薬、痛み止め、眠気防止薬、目薬、テープ、日焼け止め、ワセリン)
食糧(SYOJOY1個、アミノバイタルゼリー1個、キャンディ10個、アミノバイタル10個)
手拭、手袋、防寒ヤッケ、ヘッドランプ、点滅灯、単四電池3個(二日目用)
コースマップ、チェックポイントに記すシート(食券付き)、ボールペン、デジカメ、携帯電話
久米島の白銀の塩 等

山口100萩往還マラニック250kmその22008年05月07日 22時42分11秒

ホテルをチェックアウトし、向かいのガストでパスタランチを食べ、タクシーで説明会会場の教育会館に向かった。

コースの注意点など聞き、予定より早く説明会は終わった、頭はまだボーとしているが、今朝ほどではないようだ。荷物預けの集会場で着替えた。下はロングタイツで問題ないが、上を少し悩んだ、気温はかなり高いので半袖でも充分だ、その時人の会話が何となく聞こえてきた「雲ひとつない良い天気、こういう時は放射冷却で夜は寒くなるんだ・・・」
これで長袖のTシャツに決めた。

17時にはスタートライン近くに移動し、国宝の瑠璃光寺の写真など撮ったりし、何としてもウェーブスタートの一番目をとりたく、40分ほど前から並んだ。
これは参加者が多いため50人ほどで何分かおきでスタートするもので、全く未知のコースなので、最後の方のスタートだと置いて行かれてしまうかもしれないという恐怖心から、どうしても走るのが早くなってしまうことがある。これが結果的にはあとで大きなダメージとなることがあるのだ。

ナンバーコールを受けて、18時スタートの部に入れた。
大会会長の小野さんのエイエイオーの掛け声を合図にスタート、声援を受けて瑠璃光寺を後にした。

山口100萩往還マラニック250kmその32008年05月08日 12時38分46秒

 2日(金)の18時にスタート、すぐに長い列になり、あっという間にバラけてくる。山口駅を通り過ぎ左折、川沿いの秋吉台に続くサイクリングロードに入った。
日は傾き、夕陽の中、橋を横断している先行ランナーがいる、川沿いをひたすら走る、ちらほらと人家があるし車道ではないのでまだヘッドランプは点けない。
やがて最初のエイド上郷駅前(13.2km)に19時36分に着いた、まずは順調、頭痛も思ったほどではない。給水しアンパンを食べた。ここでヘッドランプを点灯、ザック後ろの点滅灯のスイッチも押した。
ここからは登り調子になり先行するランナーも疎らになる、前に見えるランナーの背中の点滅灯が地図に変わる道しるべとなる。

応援メールが携帯電話に次々に入ってくる、きっと電波が届く場所なのだろう。読むことはできるが、とても走りながら返信はできない。

湯の口エイド(20.3km)では、オムスビを頂いた、食欲があるうちは大丈夫と一人合点。下郷駐輪場(27.8km)のエイドでは給水のみでトイレを済ませた、ここからサイクリングロードを抜け一般道に入る、21時30分。

この辺りからは一人旅、人家もなく遠くに点滅灯が見え隠れする程度、4時間に一本と決めていたアミノバイタル(顆粒)を飲む、しっかり筋肉補修しろよと独り言。そうそう忘れちゃいけない塩ということで、今回は友人から貰った「久米島の白銀の塩」を一つまみ。

西寺のエイド(43.9km)はガソリンスタンドで23時52分、フルマラソンの距離は超えたか!給水のみして、隣のコンビニでパンと缶コーヒーを買って食した。
自分で設定した予想タイムより30分ほど遅いが、体調が今一なので結果オーライと納得した。

山口100萩往還マラニック250kmその42008年05月09日 01時04分12秒

 漆黒の闇だ、試しにヘッドランプを消してみると、何も見えない、自分の手も見えない。しかし空を見上げると、星が降ってくるようだ、満天の星、皆にも見せたいなと思いながら再び走り始めた。

豊田湖(57.1km)のエイド(公園の食堂)に着いたのが2時22分、ここで初めて食券を使ってオニギリ2個にうどんを頂いた。
出発の準備をしていると、女性が一人ベンチに横たわっている、知り合いらしき人との話しを聞いているとどうも骨折したらしい、気をつけなければと再スタートした。

俵山温泉(65.9km,3時41分)大坊(76.4km,5時13分)を通過、エイドで食べ物がない、豊田湖でしっかり食べておいて良かった。眠いが走りながら寝てしまうほどでもないし、蛇行しているわけでもない、ただ、さすがに疲れてきた。

やがて陽があけてくる、きれいな海が広がってきた、油谷湾だ。海湧食堂(85.7km,7時25分)では、おかゆと味噌汁を頂く、これまた美味い、頭痛もすっかり無くなった。
この食堂から少し離れた油谷中学が一つ目の荷物置き場になっている。顔を洗う、気持ちが良い、ロングスパッツを履き替えて、Tシャツも長袖を半袖に着替えた。そして考えた、日中は半袖で問題ないが、夜になったらまた冷える、冷える前に次の荷物置き場に行けるか解らない。
長袖Tシャツを水道水のみで洗った、これで背中で干しながら走ろう。

着替えたのでリフレッシュできた、油谷湾を左手に見ながら、直下には棚田が広がる、まさに日本の原風景と見とれながら進むと、「楊貴妃の墓」が表れた、なんだか名所らしいのでコースを外れて見に行った。

山口100萩往還マラニック250kmその52008年05月10日 16時40分51秒

油谷島に渡る、すでに太陽は高く気温もかなり上昇しているようだ。コースも急な登りになってきた。
俵島が見えるところが、この大会の第一のチェックポイント(97.8km,9時15分)だ。案内板に吊るされているホッチキスと昔の車掌の鋏を合わせたようなものでチェックシートに押し付けた。
これが無かったり、このシート自体を紛失すると完踏と認められない、大切なものだ。

山口100萩往還マラニック250kmその62008年05月10日 17時45分56秒

 途中の食料品店でアイスクリームを買い食べた、美味い、アイスってこんなに美味いんだ。
川尻岬の沖田食堂(107.2km,10時55分)に着いた、今度はカレーライスだ、食欲が落ちないのがなによりだ、それにしてもビールを飲んでいるランナーがチラホラ、さすがにそこまではできない。

大浜海岸、立石観音を経て千畳敷にいたる17kmほどはアップダウンが激しくかなり消耗した。千畳敷(124.8km,14時45分)も観光名所らしい、棚田は百選に入っているらしい。ここでもソフトクリームを食べた。

そして、この場所でこの時間では完踏は厳しいようなことを経験者から言われた、まだ先は長いが行ける所まで行く!
途中のエイドで、チキンラーメンを頂いた。二日目では食堂以外初めてのエイドだった、初日のエイドの手厚さとだいぶ違う。食べたからだろうか、眠くなってきた。コース上歩道脇で横になって目を瞑ったが寝れない。
しかし、あまり余裕がない、足を先に進めたが、たぶん歩くのより遅いのだろう。

 仙崎公園(142.7km,18時15分)に着いた、ここから青海島の鯨墓まで往復することになる、仙崎の手前から一緒になった経験者に引っ張って貰い向かった。宗頭(174.7km)を夜中の1時に出発すれば完踏できるとのことで、狭い道、車がバンバン飛ばす中を必死に走った。鯨墓(152.9km)で小休止、途中にあるはずの静が浦キャンプ場の食堂は時間が遅く閉まっていた、一食損した。

仙崎公園(163.1km)に戻り、寒いので長袖のTシャツに着替えた。コースが解り難いと、経験者の後に続いた。しかし、またしても睡魔が襲い、コースを確認し歩道に寝た。しかし5分ほどか、先を急いだ。

今夜も満天の星だと思った瞬間、毛躓き大きく転倒した。携帯電話が転げ落ちたので心配でボタンを押したが、自分の指に反応がない、一瞬壊れたと思ったが、強打して指の感覚がなくなっていたのだ。顔が痛い、左頬を手でさすり、見てみると血がついていた。左肩、右足の膝裏とスネに足首も鈍痛がした。

山口100萩往還マラニック250kmその72008年05月10日 17時51分35秒

 宗頭文化センター(174.7km)に1時に着いた。着替える余裕がない、うどんとオニギリを一個貰い、顔のキズの手当てをして貰いそのまま真っ暗闇のコースにでた。

ここから先はコースも複雑で、初心者は一人ではないほうが良いとされたところだ。
見ず知らずの経験者に着いていくことにする、途中で声をかけ同行をお願いした。この方は、とにかく歩くだけなのだが早い、油断すると置いていかれる。それに眠気と疲労からか覚醒し始めた。電信柱や木々がゆがむ、女の人が立っている、こんな山にエイドが、全部幻覚だった。
ただ一箇所、三見駅と玉江駅の中間の山中にはホントに私設エイドがあった。よくもこんな寂しいところでエイドを、嬉しかった。

覚醒したまま萩に入った、玉江駅(194.2km,5時17分)だ、同行して頂いた方に礼を言い、駅のベンチで5分ほど寝た。
さぁ、ここからは、昨年の140kmと同じ道、予定タイムより1時間ほど遅いが頑張るぞ!

玉江駅を後にし、萩城址を経て海沿いを走る。ここで、Tシャツを長そでから半そでに着替えた。萩焼会館を過ぎると折り返しのランナーがいる。Aナンバーは250kmの部、Bナンバーは140kmの部の人たち、やはりBナンバーの方が足に勢いがある。笠山(204.8km,7時46分)は、日本一低い火口で、直前が急こう配なっている、もちろん歩く。そして、少し下り回り込むと虎ヶ崎(207.4km,8時30分)の椿の館、ここでもカレーライスを頂く、前の席のAナンバーの女性はカレーにビールだ。わたしも嫌いじゃないが、とても飲む気にはなれない。

最後のチェックポイント東光寺に向かう。途中の小さなコンビニで氷を一袋買った。リザーバーに入れる、余りを帽子の中にいれ、近くのランナーにもあげた。そろそろ冷たくなってきたかとリザーバーの水を吸うが冷たくない、おかしい、暫らく待ってまた吸う、冷たくない。
何回か繰り返しやっと分かった。リーザーバーの中は冷えているのだが、ホースの中は温かいまま、こんなことも分からないとはやはり頭がボーとしているのだ。

右足のすねが痛み出し、余った氷でアイシングもした。通りかかった13回連続完踏の知人に痛み止めのロキソニンも貰った。
右足を引きづり気味に最後のチェックポイントの東光寺に着いた。

山口100萩往還マラニック250kmその82008年05月10日 18時25分04秒

 東光寺を折り返したベンチで暫く休む、このままの足の状態ではこの先が心配だが、行くしかない。萩市内でアイスクリームを買い、食べる、栄養補給と体を冷やすのに丁度よい。70kmのCナンバーの人たちとも合流し始めた。

萩往還公園(223.4km,11時50分)では、昨年と同じ場所で夏みかんを1個100円で買い休みながら食べた。うーん、美味い元気が出る。
さて、ここから萩往還道の山だ、足が攣らないように慎重に登り下った。すれ違うランナーからお疲れ様の言葉、追い抜く人からは頑張りましょうの言葉、ゴールに向けての一体感がでてくる。

明木(227.0km,12時45分)を抜けると往還道の難所、一升坂の登りだ、さすがに歩きが多くなるが、制限時間が心配で走ったりもする。萩で少しノンビリし過ぎたかと後悔する。佐々並(236.1km,14時45分)で熱いコーヒーを砂糖たっぷりで2杯飲んだ、あと3時間、暫くは登り勾配が続く、挫けると歩いてしまうので、エッサなど声を出してリズムをとり足を前に進めた。
夏木原キャンプ場を過ぎると間もなく山の往還道に入る、ここまで来ると先が読める、登りも下りも足は痛むが前に進める。やがてオカリナを音が、ランナーが下ってくるとオカリナで応援してくれる。「ありがとう」と足を速めた。

往還道の山口側入り口に出た。あと4km弱、通り過ぎるランナーに写真を撮って貰う余裕がでてきた。
下り一辺倒で、足を進め、最後大きく右折すると、ゴールの瑠璃光寺が見えた。沿道の両側には大きな声援が!思わず涙ぐみながら境内に入り、ゴールテープを切った。

2008年5月2日18時~5月4日18時の制限時間が48時間
距離 250km 時間 47時間33分38秒 完踏者217名中197位だった。

萩往還走り終えて2008年05月11日 21時17分47秒

  5月4日17時半、瑠璃光寺にゴールした。
スタッフにチェックシートを渡し、草むらに横になった。
直ぐに冷え込んできた、慌ててヤッケを着込む、門前にタクシーが止まっていたので乗り込んだ、最早、荷物置き場までが億劫だ、たかだか数百メートルだが湯田温泉に行くのに寄ってもらった。

昨年は、いきなりビールを飲んで、その後の温泉で気持ちが悪くなった。その反省から、ひとまずシャワーを浴び、天麩羅蕎麦が食べたくて行ったのだが、生憎と天麩羅がないという、がっかり。
ビールに蕎麦で我慢した。
ホテルに戻り、直ちに爆睡、目が覚めたのが夜中の2時、温泉に入り疲労を取った。

翌朝も温泉に入り、足がだいぶ腫れているのでサポートタイツを着た。中原中也館を見学、隣りの酒屋原田酒舗(http://www.c-able.ne.jp/~sake-h/)で自分へのご褒美として、日本酒(貴、東洋美人、雁木)三本を買った。
昼食は、この貴を出してくれる会席料理の「坐楽(あぐら)」を堪能、良い連休を過ごせた。
なかのひと