伴走_東京荒川市民マラソン2007年03月18日 21時16分32秒

 昨年に続き、久喜敬和寮のT君とフルマラソンを走った。
T君は今シーズン、大会参加が全く無かったので久々のランになった。

会場は、朝から強風、スタート時は追い風なのだが、帰りの向かい風を思うと気もめいってしまう。例年は、午後になって向かい風なのだが、こんなのは初めてだ。
強風と気温が上がらないという予報だったので、私の走る格好は、ウィンドブレーカーの上下とした、これもまた初体験だ。

ペアを組む相手が体調不良で欠席というUさんと二人でT君をサポートした。
二人だと、トイレや給水の心配をしなくてすむので安心だ。追い風の中進んだのだが、どうも、T君の走りが昨年のものとは違う。たぶん練習不足なのだろう。

折り返してからは更に、歩みが遅くなり、歩きが入るようになってしまった。
T君ももどかしさからか、かなりストレスが溜まっているようだ。
エイドごとに何か食べ物をとった、そして、もちろん35km過ぎではシャーベットも食べた。
5時間58分でやっとゴール、後半は午前中ほど風が無かったのが救いだがやはり疲れた。

そして一緒に伴走した、Uさんは、なんとさらに自宅まで約30kmの道のりを走って帰った。
5月の連休に行われる「川の道」という522kmの大会の練習だそうだ。
この大会、東京湾・荒川河口~荒川遡上~埼玉県秩父市川又~三国峠(中津川林道)~信濃川下降~長野県小諸市~長野市~飯山市~新潟県長岡市~新潟市・日本海海岸という太平洋から日本海を横断する大会、さすがにこの大会に出たいとは思わない。

伴走_はすだCityマラソン2007年02月25日 21時33分04秒

 昨年末の加須こいのぼりマラソンでペアを組んだ、久喜啓和寮の知的障害者K君と今日も10kmレースに参加した。
今日、彼らの仲間達は、5kmに8人、10kmに6人がエントリーしていて、近隣のランナーたちがそれぞれ集まり伴走をした。

寒いので、彼はウィンドブレカーを着たままアップをはじめ、5分前にはスタートラインで脱いだのだが、一番前に陣取ってしまった。ここは30分ランナーが集まる場所なので後ろへ行こうと言ったのだが、ここが良いという。
仕方がないので、せめて中央の位置でなく端へと移動した。

気温は低く風が多少吹くなか、10時35分にスタートした。
すぐさまダッシュ!
あわてて尽いていく、抑えろ!ゆっくり!と何度も叫びながらのラン、しかし、200mほど全力疾走したら、キロ6分前後のゆっくりなペースに戻って一安心した。

あとは、田園地帯をひたすた行く。5km通過が29分台、前回の加須が1時間を越えたので、何とか1時間を切らせてあげたいと思い、ラスト1キロになったら、突っ走るぞと繰り返し言いながら走った。
そして、ラスト1km、そんなに余力はなかったはずなのだが、頑張ってくれた。
59分43秒でゴール。

彼は、いずれフルマラソンを走りたいらしい。
障害者自立支援法が昨年、全面施行された。彼らにとってそれが良いのか悪いのか分からない。ただ、彼らの仕事はなかなか無い。シューズのソールも磨り減っているが買うこともままならないらしい、けっして満足なランニング環境とは言えないのだ。
彼がフルマラソンを十分な準備のもと、走ることができるようになって欲しい。

東京マラソンナンバー受付2007年02月17日 23時50分36秒

 明日、行われる東京マラソンは、当日受付をしていない。
昨日か今日のどちらかで、前日までに受付を終えなければいけない。
場所は東京ドーム、今回はこのナンバー引き換えのボランティアリーダーとして参加した。

集合が、7時45分と早い、当日の段取りなど説明を受けるが、説明する側も二転三転と内容が変わり、ドタバタの印象はぬぐえない。
そうこうする内に一般ボランティアの受付を始めた。

わたしの担当は、受付窓口8箇所で、一箇所あたり3名、総勢24名のリーダーということだったが、ドタキャンがいたりで、18名しかいなかった。
しかも、この人たちのなかには、マラソン当日のボランティアも行うため、その説明会に参加するため1時間ほど抜けなければならない人たちもいる。

ひとまず窓口に二人を割り当て、ナンバーのほかにプログラムなど配布物を袋に入れる作業を開始した。
既に600人ほどが並んでいるというなか、10時に開場。
あっという間に長い列ができた。

引換書に署名がなかったり、個人を特定できるものを準備していなかったりと意外と時間がかかった。
少ない人数なので休憩時間がとれない、とてもボランティアを楽しむなんてものではない、配布物の補充も重たく、倉庫から運び出すうちに手がしびれてきた。
次々に昼食にでてもらい、自分が昼食にありつけたのは3時前になってしまった。

夜も6時を過ぎるとさすがに引き換えもまばらになってきたが、既にボランティアの人たちは疲労困憊、8時に終り、片付けて8時半に解散、長い長いボランティア活動が終わった。
ずーと立ちっ放しで足は棒のよう、雨足を強まり、果たして明日、走れるのか?

ボランティアリーダー説明会2007年02月03日 22時01分50秒

 東京マラソンのボランティアリーダーに申し込んでいたのだが、今日その説明会があった。
女房もわたしも運よく当選して18日当日のマラソンには参加できるので、事前のボランティアをやることにした。
女房は、16日(金)記念Tシャツの交換ブース、わたしは17日(土)の受付ナンバー引き換えを担当することになった。

いずれもリーダーの役割なので、何人かのボランティア束ねて上手く運営することが大事で、間違っても自らやりだしてはまずい。

ボランティアの朝は早く7時半、終りは夜の21時とかなりハードだ、特に自分はその翌日にフルマラソンを走るので一晩で疲労が抜けるかちょっと心配。

その説明会が終り、地下鉄に向かっていたら、金刀比羅宮で節分の豆まきをしていた。一緒になって福の神の豆を手を差し伸べてキャッチした。こいつは春から縁起が良い!

日本スポーツボランティア学会大会2006年12月23日 23時53分09秒

 日本スポーツボランティア学会の第三回大会が参宮橋の国立オリンピック記念青少年総合センターで行われ、次のような研究発表があった。

1.少年サッカークラブにおける指導者と保護者のボランティア活動に関する研究
2.スポーツスタジアムボランティアの活動の実態
3.伴走ボランティアと国際ボランティアの意識の違いに関する調査
4.総合型地域スポーツクラブのボランティアと体育指導委員の相違について
5.伴走ボランティアと障害者ボランティアの実態
6.障害児・者の発達心理と運動機能
7.視覚障がい者における伴走時の酸素摂取量
8.視覚障がい者ランナーと伴走者の現状分析
9.スポーツボランティアの特徴に関する研究
10.スポーツボランティアのニーズと課題
11.事例から見るスポーツボランティアのあり方

5~7の演題について、座長を行った。
一部DVD作動の不良によりスムーズに行かない面があったが、改めて感じたのは、いかに良い研究成果でも、相手に伝えるプレゼン能力が欠如していると非常にもったいない結果になるということだ。

伴走_加須こいのぼりマラソン2006年12月03日 21時44分49秒

 昨年に引き続き、久喜啓和寮の知的障害者K君と伴走して10kmを走ってきた。
K君は、今まで5kmのレースにしか参加したことがなかったそうだが、今回、倍の10kmということで、5kmレースのように最初から突っ込むとあとが大変だと思った。
しかし心配することなく、ほぼイーブンで走りきることができ、1時間20秒で元気にゴールした。

気温も思ったほど寒くなく、走るには丁度良く、晴天で沿道の応援も出ていて気持ちよい汗がかけた。
K君は、今の走力でも充分ハーフまではいけるのではないかと思った。

そして、次の大会の伴走予定が決まった。
2月25日 はすだ市民マラソン
3月11日 羽生マラソン
3月18日 東京荒川市民マラソン
4月1日 幸手さくらマラソン

ボランティアそして応援2006年11月19日 22時42分15秒


 東京国際女子マラソンのボランティアをしてきた。
霞ヶ丘国立競技場に8時に集合なので、5時半起きだった、今にも雨が降りそうな空だ、気温も上がらないようなので、防寒対策は万全にした。

国立競技場内で、ボランティア受付を済ませた。
12km地点の給水ボランティアだ、この場所の給水テーブルは水が10箇所にスポーツドリンクが5箇所の計15箇所になる。
それぞれのテーブルに東京陸協の役員一名と自分らボランティアが一名で対応する。

給水地点まではバスで移動した。着いたのが11時ごろ、簡単な説明のあと、弁当を食べた。
マラソンスタートの12時10分に再集合し、各自が歩道上に設置されたテーブルの前で待機した。わたしは、二番目のテーブルの担当となった。

12時45分過ぎに、先導のパトカーが通過し、交通規制がかかり、テーブルやポリバケツなどを車道上に移動し、コップに次々と水を入れていった。

先頭集団が通過、誰も水を取らない。
後続がなかなか来ない、やっと来ても集団にはならない、しかし、やがて、市民ランナーが増えてくると、集団の状態が続くようになってきた。
あっという間に用意したコップがなくなる、次々に水を入れる、ランナーがコップを取り損ねると、もろにこちらが水を被ることになる、冷たい。

知人のランナーが声を掛けてきた、思わず、「○○さん!ファイト!」と声を掛けたが聞こえたかどうか?

やがてランナーも途絶えてきて、最終ランナーが通過し、交通規制解除、急いで、水をこぼし、テーブルを歩道に移動する。
もう、車道には車が走っている。
片づけが終わり解散、ランニング仲間と共に、日比谷に移動し、先頭ランナーを応援、さらに地下鉄を乗り継ぎ、市谷に着いた。
もっとも苦しいと言われる四谷の坂で、今度は応援した。

知人を待つが、なかなか来ない、先日のボランティアで知り合ったHさんを確認し声援をおくったら、手を挙げて返してくれた。
しかし、K子さんとOさんは来ない、結局、交通規制解除まで待ったが来なかった。
自分が見落としただけなら良いのだが、もしかしたらリタイアだったのかもしれない。明日にでも聞いてみよう。

画像は、四谷の坂をいく一位の土佐さん。

東京シティマラソン・RUN&WALK2006年11月05日 19時39分47秒

 東京シティマラソン・RUN&WALKが皇居で開催された。
風邪をひき、多少熱もあったが、ハーフマラソンの伴走ボランティアとして会場に向かった、残念ながら相手が来なかったため伴走はできなかったが、体調不良なのでそれも良かったのかもしれない。

しかし、このまま何もしないという選択は考えられず、伴走というナンバーを胸に貼ったまま、ランナーと一緒に皇居の周回をした。
ハーフを走り、さらに1周追加で合計26kmとある意味良い練習にはなった。

走り終わって、さすがに悪寒がはしり、早々に帰宅した。

ビーチクリーン2006年08月14日 19時46分20秒


 湘南オープンウォータスイミングが、逗子から鎌倉、江ノ島に掛けて12・13日で行われた。
お盆の期間ということもあり、レースのボランティアは出来なかったが、戦いが終わった今日は、ビーチクリーンということで参加した。

 早朝、横須賀の実家を出て、鎌倉に出た。駅のコインロッカーに余計な荷物を預け、腰越海岸に向かって練習がてら走って向かった。既に日差しは強いが、海は気持ちが良い、由比ガ浜から稲村ガ崎などを通り抜けて45分ほどで着いた。

腰越海岸は、レースのゴール地点。お揃いのTシャツに着替えて、ごみ拾いを始めた。直接レースに関係するようなゴミはまず無いが、あちこちにビニールの切れ端やタバコの吸殻などが落ちていた。ペットボトルや空き缶ももちろんある。一体、親はどういう教育をしているんだ!と思う一方、仲間と泳ぎに来ている茶髪のお兄ちゃんが、通りすがりに「お疲れ様でーす」とか言ったりする。

昼前には、かなり暑くなってきたこともあり終了、解散となったが、NSVAの責任者の方と、その場で生ビールを3杯飲んでしまった。

その後、江ノ電に乗り鎌倉に戻り、銭荒い弁天に行った。

写真は、NSVAの責任者の方

ボランティアリーダー説明会2006年08月05日 23時31分26秒

今日は暑かった!半端じゃなく暑かった!そして忙しかった。
今日、明日と地域の夏祭り、自治会役員なので当然夏祭りで何かしなければいけない。今回の担当は設営、各自治会やコミセンを回って、テントやテーブル、椅子などを収集して、夏祭りが行われるダイエー前のケヤキ広場に集合する。
テントの設営、舞台周りに紅白のカーテンを廻す。・・・とここで女房が来て交代した。

来週、江ノ島で行われる、湘南オープンウォータスイミング大会のボランティアリーダー説明会が虎ノ門の船舶ビルで行われる、これに参加するため、急いで家に帰りシャワーを浴び向かった。

宇都宮線がポイント故障で、多少遅れたが支障はなかった、そして、帰宅。
夏祭りは始まっていたが、わき目もふらず帰宅し、急いで着替えていつもの練習コース、弦代公園に行った。あまり時間がないので最初から飛ばした、結果、10周11.5kmを57分17秒と最近ではなかなか出ないタイムがでた。
そしてシャワーを浴び、夕食を取り、再び祭り会場へ。
イベントは21時に終わり、テントをたたむ。明日もあるので一時的なもので良かった。

ボランティアの担当は、レース明け翌日(14日)のビーチクリーンなので、そんなに難しくはない。(江ノ島の海岸にも注射針などが落ちているらしい)
しかし、このレースの10kmは逗子から江ノ島までを関門が1km20分とのこと、しかも賞金が出るのでかなりシビアな参加者もいるという。10km走るのは簡単だが、泳ぐとなると、うーん、感覚的にはウルトラマラソンの範疇になってしまう。
なかのひと